高田新舞八調子   十二神祇舞   山県旧舞六調子


悪狐伝
滝夜叉姫
矢上姫
紅葉狩
羅生門
大江山
戻橋
山姥
日本武尊〜東夷征伐〜
日本武尊〜伊吹山〜
天神記
源頼政
土蜘蛛
安達原
 ◇ 悪孤伝

平安時代中頃、中国より渡ってきた金毛九尾の狐は、玉藻前と姿を変え鳥羽の院に仕え、王位を倒し国を滅ぼそうとしたが、 陰陽師安部清明播磨守安親(おんみょうじあべのせいめいはりまのかみやすちか)に正体を見破られ、下野(しもつけ)の国 那須野が原に逃れた。里塚に隠れた金毛九尾の狐は、姿を変えては悪行を重ね、人々を悩ませた。
後に、勅命を受けた 三浦介・上総介の弓引きの名人によって成敗されるという物語。
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 ◇ 滝夜叉姫
 
平安末期、下総の国で朝命に逆らい、自らを親王と名乗っていた平将門は、朝廷の命を請けたいとこの平貞盛と藤原秀郷(俵藤太)のために敢えなき最期を遂げてしまう(天慶の乱)。
父の意志を継ぎ恨みを晴らそうとした娘の五月姫は、京都の鞍馬にある貴船神社に祈願をし妖術を授かった。自らを滝夜叉姫と名乗り、下総の相馬の城に帰り、朝命に背き天下に災いをなした。そこで朝廷の命を請けた大宅中将光圀が、陰陽の霊術をもってめでたく成敗するという物語。
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 ◇ 矢上姫
  
旧舞の演目「大国主尊」「八十神(やそがみ)」を、古事記をもとに独自の解釈でアレンジし、平成七年に新舞の演目「矢上姫」として発表した創作神楽。
八十神兄弟(大国主尊の継兄弟)の武彦・乙彦達は、因幡の国の矢上姫という美女を得ようと互いに争うように姫のもとを訪ねたが、姫の心を得たのは末弟の大国主尊であった。この事を姫に告げられ激怒した武彦達は悪鬼神となり、数々の謀を企て大国主尊の命を奪い取ろうとする。

その後、大国主尊は根国の素戔鳴尊(すさのおのみこと)のもとに逃れ生太刀を授かり、八十神兄弟を滅ぼしめでたく出雲の国を治めたという物語。
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 ◇ 紅葉狩
 
奥州会津の生まれで、大自在天魔王(だいじざいてんまおう)の血を受け継ぐ更科姫は、都に出て源家を滅ぼし魔国にしようとしたが、陰陽師に正体を見破られ信州戸隠山へと追いやられてしまう。奥山に住みつき庶民に災いを為した事が都へ聞こえ、勅命を受けた平維茂主従は、道中紅葉狩を楽しみながら奥山へと向かう。
 
維茂主従の動向を察知した更科姫は、麗しき女人に姿を変え、山中で紅葉狩の酒宴をはり、維茂主従をその酒宴に誘い込み、酒に酔い伏した二人の命を狙おうとするが、八幡大菩薩が現れ二人の命を救い、女人の正体を告げ神剣を授ける。
神剣を授かった維茂は、八幡の神の威徳をもってめでたく鬼女を成敗するという物語。
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 ◇ 羅生門
    
源頼光(みなもとのらいこう)は、都・羅生門に現れる鬼人退治を渡辺綱、占部末武に命じ、四天王は激闘の末茨木 童子の左の腕を切り取り持ち帰る。
一方左の腕を切り取られた茨木童子は、綱の乳母・白妙と身を変え、綱の館へと出向き左の腕を取り返す。立ち向かった綱は水火の魔術をかけられるが、石清水の神のお告げによりかけつけた占部末武に助けられ童子と戦う。しかし童子は虚空飛天の妖術を使い、丹波の国 大江山へと飛び去って行くという物語。
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  ◇ 大江山
 
平安中の頃一条天皇の御代、丹波の国大江山酒呑童子という大悪鬼が茨城童子唐熊童子ら多くの手下を従えてたてこもり、都や村里に出没しては悪事を働き良民を苦しめていました。
当時都の警備の任にあたっていた武勇の誉れ高い源頼光が大江山の悪鬼退治を命じられます。源頼光は藤原保昌と四天王の碓井貞光・占部季武・渡辺綱・坂田金時等を引き連れ大江山に向かう途中、三世託の神、熊野大権現・住吉大明神・八幡大菩薩に参拝し、『人が呑めば薬となり、悪鬼が呑めば毒となる』と人便鬼毒の御神酒を授かり、山伏の姿に変装して大江山へと向かいます。道中で都から紅葉姫と出会い岩家へ案内されます。
童子との問答の末宿を許され、人便鬼毒の酒を言葉巧みに飲ませ、大激闘の末見事大江山の鬼を退治するという物語です。
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  ◇ 戻橋
 
平安時代中期、京の都一条戻り橋辺りに夜な夜な鬼が現れては庶民を苦しめていました。
源頼光は四天王の一人、渡部綱に陰陽師阿倍清明に戻橋あたりの様子を聞いて鬼退治をするように命じます。綱は清明から、『式神』という清明の手足として自由に操れる陰陽師の鬼神を受け取り戻橋へと向かい一人の姫と出会います。綱は五条大宮まで連れて行って欲しいと頼まれ、道中ふと川面を見ると、川には妖気漂う恐ろしい鬼女の顔が映し出されました。たちまち姫は鬼へと姿を変え綱に襲いかかりました。綱は清明に渡された式神と共に鬼と大激闘の末、鬼の左の腕を切り取ります。
腕を切り落とされた鬼はやむなく大江山へと逃げ帰って行くという物語です。
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   ◇ 日本武尊〜東夷征伐〜

日本武尊の東夷征伐を仕組んだ神楽。
九州の豪族熊襲を平らげた日本武尊は父、景行天皇に報告するが東の国を平定するよう命ぜられ、すぐに東国へ出発する。途中で伊勢の宮に参拝し、叔母君大和姫に会い天の村雲の宝剣を賜る。 駿河の国にすむ兄ぎし、弟ぎしたちは天皇の命令に従わないので征伐されると聞き兄弟を呼び集めるが、日本武尊を討つ謀りごとが思いつかないので賊首に教えを請い、「この野には、人々に害を与える大鹿がいる」とあざむく。

日本武尊が大野に入ったところを八方より火を付け焼き殺そうとするが、宝剣が自然と抜け出て草をなぎ払い守袋の中の火打ち石で迎え火を付けて難をのがれ、兄弟たちは退治されてしまう。
この時、天の村雲の宝剣の名を草薙の剣と改称した。
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  ◇ 日本武尊〜伊吹山〜

東国征伐を遂げた日本武尊は大和の国への帰途、尾張の国に立ち寄る。そこでみやず姫と出会う。
みやず姫を妃にした日本武尊に帝から伝言が届く。帝は今までの武尊への仕打ちを後悔しているとのことだった。武尊は父が自分の心を理解してくれたのだと喜ぶが、帝からの伝言はもうひとつあり、大和へ戻る前に伊吹山へ立ち寄り、山神を退治する事だった。武尊は山神退治も自分の手柄を増やしてやろうとする父の思いやりであると考え、神の威徳の草なぎの剣をみやず姫に預け、伊吹山へ向かう。
一方せまりくる日本武尊が草なぎの剣を備えていない事を知った山神と姥神は、深くたちこめた霧の為山中に迷い込んだ日本武尊一行に、妖術を使い戦いを挑んでいく。草なぎの剣がなくとも、見事山神を退治するが、武尊は深手を負ってしまいます。二人して大和へ向かいますが、足は心とは裏腹に歩みを止め、武尊は能煩野(三重県)で息絶えたのです。

「倭は 国のまほろば たたなづく青垣 山ごもれる 倭しうるわし」
(大和は国の中で一番良いところだ。重なりあった青い垣根のような山々に囲まれた大和は本当に麗しいところだ。)
日本武尊は父の思い、友の思い、我がふるさとを讃え、魂は白鳥になって大空に舞い上がり大和へ向かったと伝えられています。
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  ◇ 天神記

平安時代、醍醐天皇の時代、時の右大臣菅原道真は左大臣の藤原時平のはかりごとにより、九州は大宰府に左遷され間もなくこの地で憤死します。この神楽は道真が死ぬ間際、息子の菅秀才に時平等の謀略に対する無念を告げ、都に上り、藤原一族を討ち滅ぼし再び帝への忠勤を尽くすべし、と自ら息絶えるところから始まります。
この世を去った道真のすさまじい怨念が「雷神」となり、秀才の背後から無念を晴らす機会をうかがいます。都に上った菅秀才は、すでに時平等に状況を察知され待ち受けにあいます。いよいよ決戦のとなり、和歌の掛け合いが始まります。時平は和歌の道では菅秀才にはかなわないと見るや、剣によって勝負を決しようとします。戦いが始まり、菅秀才が形勢不利となった時雷神が現れ菅秀才を救います。藤原一族は二人の手によってついに討ち滅されます。
菅原道真は学問の神として親しまれていますが、日本最強の怨霊としての一面を持っているがゆえ、物語の題材として広く扱われています。
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  ◇ 源頼政

平安時代末期、幼くして即位した近衛天皇は、毎夜丑の刻になるとあることに怯えていました。それが怪しいもののけの仕業だとわかり、弓の名手源頼政が呼ばれました。
頼政は猪早太を連れ怪物退治に向います。丑の刻、どこからともなく黒雲が現れたちまち清涼殿の上をおおうと、帝の苦しみは激しくなりました。その黒雲の正体は鵺といって頭は猿、体は狸、手足は虎、尾は蛇という怪物でした。大格闘の末、めでたく鵺を射落とすという物語です。
頼政は天皇から『獅子王』という剣を頂き、左大臣藤原頼長が『ほととぎす名をも雲居にあぐるかな』と歌を詠み、真夜中にほととぎすが声高く鳴き声をあげるようにそなたはこの宮中に名をあげたとほめた。
しかし、頼政は『弓張り月の射るにまかせて』と弓を射ただけで偶然当たっただけですと答えたのである。控えめな表現が頼政の持ち味であったという。 
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  ◇ 土蜘蛛

大和の国葛城山に古くから住んでいたという土蜘蛛の精魂は、朝廷に従わず、世を乱し抵抗を続けていました。
時の朝廷に仕える源頼光が重い病になったと聞き、土蜘蛛の精魂は頼光の侍女・胡蝶にと化身します。頼光が胡蝶に典薬頭から薬をもらい受けるように申し付けたのを幸いに、その薬を毒薬にすり替え、頼光に飲ませ殺そうとします。頼光の枕元にあった源家の宝刀「膝丸」の威徳によって土蜘蛛の精魂は手傷を追い、葛城山へと逃げ失せます。頼光はその太刀を「蜘蛛切丸」と改めて四天王に授け葛城山の土蜘蛛征伐を命じます。
四天王は土蜘蛛の流血のあとを追って、ついに葛城山にたどり着き、激闘の末めでたく土蜘蛛を退治するという物語です。
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  ◇ 安達原

「みちのくの安達原の黒塚に鬼こもれりと聞くはまことか」
と平兼盛にも詠われた安達が原の鬼女伝説を神楽化したもので、京都にある公家の乳母であった岩手は手塩にかけて育てた姫の病気が妊婦の生き肝を飲めば治ると聞かされ、東に下りみちのくの安達が原の岩屋に住みつく。
それから何年もたったある夕暮れ時、身篭ったひとりの旅の娘が一夜の宿を乞う。その夜、岩手は出刃包丁をふるって旅の娘を襲い腹を割く。ところが、彼女の首からさげられたお守り袋を見て、幼い時に都に残した愛しい我が子と知り、気が狂い、ついに鬼と化す。以後宿を求めてきた旅人を殺し、生き血をすすり肉を食らう『安達が原の鬼女』として恐れられるようになるが、如意輪観音の加護を得た熊野の僧阿闍梨裕慶東光坊によって退治されるという、能や浄瑠璃の演目としてしられる物語です。
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